重要文化財に指定され、2011年に補強工事が完成しました。

翌年4月には、内子町が運営するカフェもオープンし、

皆様に開放されました。


上芳我邸は木蝋(モクロウ)で財をなした豪商・本芳我家の分家で

重厚な漆喰の壁からして、当時かなりの隆盛を誇っていました。

内子で最初に木蝋の生産をしたのは、安芸の国の蝋職人と言われておりますが、

その後、本芳我家初代、芳我弥三右衛門が当時画期的な伊予式箱晒法を開発し

海外輸出されるようにまでなり、巨万の富を築きました。



<<旭鶴>>

3代目(弥三衛)になると蝋の粗悪品がたくさん出回ったため、<旭鶴>という独自の商標を使い

他社製品との差別化を図り、パリの博覧会では世界的評価を獲得、輸出に拍車をかけました。

この箱晒法で使われる蝋蓋(晒すための箱)は、本芳我家で5万箱、上芳我家で、2万5千箱であったと、

言われております。


その後大正時代に電気等の普及が急速に進み、木蝋産業は衰退していきました。

大正時代の終わりにはほぼすべての晒し業は消滅したようです。


今回重要文化財に指定された10棟は広大な邸内の敷地に当時のまま(補強工事済み)開放されており、

当時の上芳我家の生活がうかがい知れます。